スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

-------- -- --:--
別窓 | スポンサー広告
異様な日本人。
日本の植民地政策と非残虐性1
東京裁判で刷り込まれた三つの原罪の一つ、侵略戦争でないことは、既に述べた。
次に植民地支配の罪であるが、日本には欧米式の植民地は一つもないことを次に実証する。
欧米の白人たちは、地球の反対側まで侵入して、武力で原住民を殺戮し、或いは奴隷化し、自国の利益のためにだけ侵略、略奪行為をほしいままにした。
日本のそれは、すべてお隣の土地と住民を武力でなく条約によって合法的に合併したものだ。
ひとは隣家に賊が入ったり、火事になれば、次は自分なので、自衛のために協力して立ち向かうのは当然である。
隣国は日本にとって生命線だからである。
白人の植民地は非白人を支配したものですが、日本のは同じ肌色の近隣人を同化したもので、同様に論じてはなりません。
我々は素晴らしい日本を守っていかなければならないでしょう。
日本の植民地政策と非残虐性2
朝鮮半島に清が侵入してきたのを追い払ってやったのが日清戦争、やがてロシアが侵入してきたのを追放したのが日露戦争であった。
両役は日本人が血を流して朝鮮半島を守ってやったものである。
だからといって、朝鮮を直ちに併合したのではない。
台湾と樺太は両役の賠償として合法的に譲り受けたものだ。
朝鮮との合併については当時日本の元老伊藤博文は終始反対していた。
何故なら台湾の植民地経営の経験から、天皇の「一視同仁」の皇民思想で日本人と同じ生活レベルに引き上げるため、教育・鉄道・病院など民生の向上に莫大なコストがかかるからである。
我々は素晴らしい日本を守っていかなければならないでしょう。
日本の植民地政策と非残虐性3
東西ドイツの合併、南北朝鮮の合併では、豊かな国の方は相当の持ち出しを覚悟せねばならないからである。
日本は日露戦争直後で、莫大な戦費を浪費し、更に貧国の合併コストを負担できる状況ではなかった。
日本の方針は、隣国朝鮮が自力で近代化し、最も親しい友邦として、共に外敵に当たれるよう独立支援体制を整えようと努力した。
その矢先、親ソ派のテロリスト安重根が日露戦争終結の四年後の明治四十二年十月(一九〇九)、ハルピン駅頭で伊藤博文を暗殺するという大事件が起こった。
これには当の朝鮮側が震え上がって驚いた。
日清、日露戦に勝つ程の大国日本の元老を朝鮮人が殺してしまったから、睨まれたら大変、と心配していた。
我々は素晴らしい日本を守っていかなければならないでしょう。
日本の植民地政策と非残虐性4
かくて朝鮮の伝統的民族性である「事大思想」(より強い者に従うのが得)から、この際日本と合併した方が有利、という運動が民衆の中から盛り上がった。
中でも李容九の「一進会」は百万人の署名を集めて合併請願運動を起こした。
日本政府は合併に極めて慎重であったが、清、英米など列国が東アジア安定のため必要と皆同意した(一九一〇)。(当時、朝鮮半島は、アジアのバルカン半島と言われて動乱が絶えなかったので)。
当時の朝鮮には勿論親日派だけでなく、親ロ派、親清派もいたが、多数派の親日派の世論に従って日韓併合が選択されたものだ。
この時親ロ派に従っていたら、今の北朝鮮のような悲惨な共産国になっていたし、親清派につけば、今のチャイナのようになっていた。
日本についたお陰で、今日韓国はアジアで日本に次ぐ繁栄を享受し、オリンピックもアジアで日本に次いで開くことが出来る程の大国になれたのである。
日韓併合は韓民族の歴史にとって正しい選択だったのである。
我々は素晴らしい日本を守っていかなければならないでしょう。
日本の植民地政策と非残虐性5
日本の統治政策は、近代化と同化でした。
そのために社会資本は整備され、ハゲ山を緑に戻し、生活の向上を図った。
中でも教育の普及が韓国の近代化に与えた影響は見逃せない。
昭和十一年には、一面一校(一つの村に一つの小学校)が完成し、二千五百の公立普通学校が出来ました。
優秀な学生は、内地の大学でも士官学校へも差別なく進むことが出来た。
京城帝大は、大阪帝大、名古屋帝大より先に創設されたほどです。
白人の植民地で教育を施すなど考えられない。
住民を利口にさせると宗主国に謀反を起こす心配があるからです。
当時両民族の間には内鮮一体、内鮮融和、運命共同体という言葉がはやりました。
内鮮結婚も奨励され、明治天皇の孫に当たる梨本宮の皇女方子を李王家に嫁がせ、彼女は韓国人に慕われ生涯韓国のために尽くされたことは有名です。
韓国の福祉運動に献身され、韓国のマザーテレサと慕われました。
我々は素晴らしい日本を守っていかなければならないでしょう。
ホームへ戻る

日本の植民地政策と非残虐性6
反日家が日本の植民地の悪政の一つとして「創氏改名」を持ち出しますが、事実に反しています。
上から押し付けたものでなく、下から進んで願い出たものです。
日清・日露に勝った国の日本名なら大手を振って大陸に進出できたからです。
日本の士官学校を出て陸軍中将にまでなった浩思翊や、日本の国会議員になった朴春琴氏など朝鮮名のままで通していることで分かります。
さて戦後不幸にも韓国は極端な反日国家になってしまったのは何故でしょう。
それはマッカーサー占領軍が進駐し、抗日の闘志李承晩を米から連れてきて大統領にし、東京裁判を有利にするため、日帝三十六年の日本の悪業を捏造し、反日を国是とし国民の反日感情を煽ったからです。
日本には江戸から明治以来、一貫して反韓思想も反韓運動もなく、親韓国なのに、隣国が一方的に反日政策をとることは不幸なことです。
韓国で日帝三十六年を反日のスローガンにしていますが、実際は三十四年数ヶ月です。
それを都合よく切り上げ、四捨五入をつかって三十六年にしたものです。
このような明らかなウソを平気で付く韓国のやり方には信用できません。
我々は素晴らしい日本を守っていかなければならないでしょう。
日本の植民地政策と非残虐性7
台湾は日清戦争の賠償として清から下関条約の下で割譲されたものです。
当時の台湾島は蛮族の住む未開の地、化外の地で厄介者を日本に押し付けたものです。
百年前の台湾は亜熱帯雨林に覆われ、恐ろしい風土病と毒蛇の出没する為に人口は僅か二百五十万、現在の約十分の一でした。
日本の台湾総督の経営は、一視同仁皇民化政策で、莫大な資金を使って道路、鉄道、電気、学校などの社会基盤の整備に全力を尽くしました。
特に教育の普及は住民の知的水準を高め、忽ち野蛮国から文明国になり、戦後アジアで日本に次ぐ経済発展国に成長しました。
日本の五十年の植民地経営の成果が見事に成功した例です。
我々は素晴らしい日本を守っていかなければならないでしょう。
日本の植民地政策と非残虐性8
台湾には今でも二宮金次郎の像が勤勉と儒教精神の鏡として尊敬され、教育勅語や天皇の御真影を大事に守っている家があります。
戦後の台湾がニーズの優等生になれたのは、基本的には日本統治時代の社会基盤整備があった上に、日本からの資本と技術移転の波に乗り、日本文明の一つのサブ・システムとして、日本の世界経済の前進基地の役割を果たしたからです。
台湾が「ミニ・ジャパン」あるいは「第二の九州」と言われるのはこのためです。
我々は素晴らしい日本を守っていかなければならないでしょう。
日本の植民地政策と非残虐性9
台湾の今日あるのは日本のお陰と考え、島民は日本を怨むどころか感謝し、台湾の歴史の中で日本統治時代が最も幸せな期間となつかしがっているのが実情です。
台湾は世界の中で最も親日的な唯一の国です。
大東亜戦争もアジア解放の聖戦と考え、台湾人も日本人として志願して兵隊に入り、勇敢に戦いました。
靖国神社には二万人もの英霊が日本人と同様にまつられている程です。
我々は素晴らしい日本を守っていかなければならないでしょう。
日本の植民地政策と非残虐性10
台湾の成功とチャイナの海南島を対比すれば、日本統治がいかに良かったか一目瞭然です。
海南島はチャイナ大陸の南の海上にある九州や台湾と同じ面積の島です。
両島は百年前は全く同じ地理的・歴史的条件だったのに、今、台湾の国民一人当たりのGNPは一万ドルを超えているのに、チャイナはその三十分の一、海南島は六十分の一の貧しさです。
チャイナの政策がいかに劣っていたかが解ります。
私は先年フィリピンを訪問して、住民の声を聞いて感動しました。
それは比国は台湾の隣の南の島国なのに、台湾と比べてこの貧しさ。
自分たちも台湾のように日本の植民地になっていたら、どんなに豊かになり良かったか、と残念がっていたことです。
我々は素晴らしい日本を守っていかなければならないでしょう。
日本の植民地政策と非残虐性11
韓国は「日帝三十六年」をスローガンにして、日本統治を怨んでいますが、それなら日帝五十年の台湾はもっと悪政が続いてより悪くなっている筈なのに、逆に韓国より栄えているのは何故でしょう。
白人植民地と日本のいわゆる植民地との決定的な違いは、戦後の姿に如実に現れています。
日本が戦前植民地にしたり、占領した土地や民族は、日本に近い国ほど栄えているのは何故でしょう。
ニーズ、アセアン諸国の発展は何を意味するのでしょう。
米国支配の比国がすぐ隣の台湾と豊かさに天地の違いが出たのは上述の通りです。
我々は素晴らしい日本を守っていかなければならないでしょう。
ホームへ戻る

日本の植民地政策と非残虐性12
今、東南アジアの国々は、世界で最も成長率の高い国々として輝いています。
「日本に学べ」の日本の精神やシステムを学んだからです。
台湾の評論家黄文雄氏は、「極東の小さな島国・日本は、貧しい資源小国から経済大国となるシステムを開発した。
この『日本文明』こそ『二十世紀最大の発明』である。
この日本文明は世界の日本化現象として止まることを知らない。
二十一世紀は日本人の世紀だ。」と絶賛しています。
我々は素晴らしい日本を守っていかなければならないでしょう。
日本の植民地政策と非残虐性13
日本人は世界一残虐性に富む野蛮民族だ、と戦犯の原罪三悪の一つにされた。
これは全くアベコベである。
次にこれを例証しよう。
日本人は穏和な島国で草食で暮らす農耕民族である。
チャイナから欧米にいたる大陸民族は肉食で毎日血を見て暮らして平気な動物型人間で、闘争心と残虐性に富む。
日本は国土が光と水と土に恵まれ、豊かな緑の環境の中で、殆ど外敵らしいものがなく、植物中心のおとなしい羊的人間になっていったのが自然の生態から当然である。
我々は素晴らしい日本を守っていかなければならないでしょう。
日本の植民地政策と非残虐性14
日本では、神様のお供え物は野菜果物だが、かれらは生け贄を捧げる。
西洋の神に野菜など供えたら、神は首を横に振って、馬鹿にするなと、怒り出す筈だ。
キリスト教徒は十字架にかけられたキリストの血のしたたる残酷な刑死の姿を毎日おがんでいる。
東洋の仏教の民は、お釈迦様の自然死の涅槃の安らかに横たわる姿に感動して親しみを感ずる。
観音様も如来の像も、血とは縁がない。
仏教には一神教の怨念や原罪の思想はなく、慈悲に充ちた温かい安らぎがある。
我々は素晴らしい日本を守っていかなければならないでしょう。
日本の植民地政策と非残虐性15
日本には奴隷制度の歴史はなく、ドレイという言葉もなかった。
世界の文明国で、日本のみ奴隷という概念さえ全く知らぬ唯一の国である。
西洋の王家の紋章は、ライオン、熊、双頭の鷲といった猛獣禽類なのに、日本の皇室は菊、将軍は葵の御紋である。
各家の家紋もすべて植物で構成されている。
英国の王家は先祖が海賊(バイキング)の子孫であることを誇りとしているほどだ。
我々は素晴らしい日本を守っていかなければならないでしょう。
日本の植民地政策と非残虐性16
世界の動物分布を見ると弱肉強食、自然淘汰の原則に従って、弱い者ほど大陸の辺縁や島や山奥に追いやられて分布している。
ユーラシア大陸の真ん中に虎や狼のように強い肉食類が棲み、有袋類のカンガルーやコアラが大陸に遠い豪州に逃れて、やっと生き延びている。
山頂に追い上げられて生き残ったのがパンダである。
地球上の人類の分布も同じ動物の生態分布に従っている。
大陸の中央にはジンギスカンを生む勇猛な蒙古族が占拠し、周辺の移民族を蹴散らして、弱い民族ほど辺境の山奥や半島、島に追い立てられた。
マレー半島や朝鮮半島の民は弱いが故に半島に逃れて生き延びてきた。
我々は素晴らしい日本を守っていかなければならないでしょう。
日本の植民地政策と非残虐性17
日本民族は半島から更に前方の島に逃れてきたコアラのような争わない温和な民族なのである。
幸い移動先の日本列島の自然が豊かで、気候温暖で、花鳥風月を愛し、義理人情に心を動かし、大陸の民のような荒々しい闘争心が育たなかったのです。
農耕民は自然が相手だから、勤勉に正直に働けばその分だけ報われる。
対する狩猟の民は、ワナや囮をかけて相手を騙すことが商売で、平気である。
日本人は正直で騙され易い民族となった。
性善説と性悪説のちがいである。
我々は素晴らしい日本を守っていかなければならないでしょう。
日本の植民地政策と非残虐性18
チャイナ人は白髪三千丈、と大袈裟を平気で述べるだけでなく、存在しない南京大虐殺三十万のように、白を黒と言い含めて少しも良心にとがめない。
東京裁判で、米側は広島・長崎で三十万余の虐殺の罪をかくすため、突如南京虐殺三十万を捏造して、これでおあいこだ、と、相殺したつもりになっている。
白人や大陸の民は、戦争で一般大衆の虐殺は平気なので、日本人も南京でやった筈だとデッチ上げたものだ。
我々は素晴らしい日本を守っていかなければならないでしょう。
ホームへ戻る

日本の植民地政策と非残虐性19
南京虐殺説が虚構である間接的な証明は、蒋介石の戦後処理で明らかである。
シナ事変で日本軍が戦わされたのはチャイナ共産党ではなく、蒋介石軍だ。
その蒋介石は終戦後直ちに在支日本軍人、軍属、民間人二百十万人もの日本人を無傷で直ちに送り返してくれた。
賠償金五百億ドルも放棄し、天皇制の維持と日本分割にも反対する、極めて寛大な処置をとってくれた恩人だ。
もし南京虐殺が本当なら、親分の蒋介石が日本人を只で帰すといっても、被害を受けた民衆が承知せず、在支日本人への略奪・殺人・暴行の大混乱があった筈である。
また、多数の残留日本人孤児をあれほど大切に育ててくれた事実からして、チャイナの民衆が日本人に怨みをもっていたなどとは、どうしても想像できない。
日本軍が大陸で民衆を虐殺したり、乱暴し、迷惑をかけたなどの話は、殆ど戦後誇大にデッチ上げ、謝罪と賠償金をせしめようとするチャイナ人のタカリの習慣から生まれたものである。
我々は素晴らしい日本を守っていかなければならないでしょう。
日本の植民地政策と非残虐性20
明治以来、日本軍は規律正しい統制のとれた模範の軍隊として、世界的に定評があった。
軍人勅諭と戦陣訓の下、厳粛な軍律があって、占領地で略奪・強姦などありえない。
発見されれば軍法会議で重営倉入りである。
ところが外国の軍隊では白人もそうだが、シナの軍隊は馬賊と言われるように、侵略先の町村を破壊し、泥棒や強姦はやり放題で、これが唯一の給料であり、ボーナスだから、この時とばかりの悪事は当然である。
我々は素晴らしい日本を守っていかなければならないでしょう。
日本の植民地政策と非残虐性21
阿片戦争以来の英軍兵士のシナ大陸での泥棒行為も有名で、占領地で珍しい絵画、陶磁器、宝物などを奪って給料とし、後に大英博物館の東洋の古美術として大量に展示されていることで証明されている。
南京入城における松井石根大将の軍隊の整然たる規律正しさは、当時の世界の新聞に報道され、欧米居留民を安全に保護したことなどで感動された事実を伝えている。
戦いが終わってから無抵抗の民衆を虐殺するような残虐行為は、日本人の心情としてできることではない。
シナの兵隊が自分たちが普段やっているものだから、日本軍も当然やったはずだと勝手にデッチ上げたのが南京事件の真相である。
南京事件が無かったことは、日本の学者によって証明され、信用のある多くの著書が出ている。
我々は素晴らしい日本を守っていかなければならないでしょう。
日本の植民地政策と非残虐性22
日本軍隊の真実の姿は、戦前よく歌われた、赤い夕陽の満州の「戦友」と、乃木大将の「水師営の会見」の歌詞の中に集約されている。
前者は、『軍律きびしき中なれど』で解るように、戦場でさえも戦友を助けることができなかった我が軍規の厳しさと友情をうたっている。
後者は「昨日の敵は今日の友」で敗者をも、ねんごろにいたわる日本の武士道精神が脈動し、世界の人々を感動させたものだ。
日露戦争終結後の勝者としての日本の敗者に対する寛容さと、日米戦争における勝者としての米の日本に対する残虐性とを対比すれば、日米どちらが武士道・騎士道に従っているのか明らかである。
我々は素晴らしい日本を守っていかなければならないでしょう。
日本の植民地政策と非残虐性23
日露戦争終了で、乃木大将は敵将ステッセル将軍を水師営に招き、天皇の大みことのりを伝え、昨日の敵は今日の友として遇し、敵の防備の素晴らしさを称えている。
大量のロシア軍の捕虜たちは四国各地の町で住民にねんごろに扱われ、途中死んだ将兵をも厚く葬って、今でもその墓所には市民の献花や清掃が続いているのである。
私は先頃松山の町でこの事実を直接見て、写真を撮り、感動して帰ってきたばかりである。
日露戦後の日本の処理に対して、日米戦後処理では、日本の将軍や指導者を残酷な絞首刑に処し、不法な東京裁判で五千人もの人々を刑務所に放り込んだ。
このように東京裁判と水師営を対比すれば、彼我の民族性の残虐性の違いが、武士道と騎士道の違いが、明確となるでしょう。
我々は素晴らしい日本を守っていかなければならないでしょう。
スポンサーサイト

2010-12-30 Thu 02:41
別窓 | 未分類 | コメント:0 | トラックバック:1
<<三笠宮崇仁殿下、日本軍の残虐行為を語る | 不死鳥の独り言 | 残虐な日本人>>
この記事のコメント
コメントの投稿
 

管理者だけに閲覧
 

この記事のトラックバック

最初からストーリーや …
2010-12-30 Thu 14:21 マンガ情報サイト
| 不死鳥の独り言 |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。